はじめに

 「水滸伝(すいこでん)」。 中国四大奇書の一つであるこの物語は、中高年の方々には比較的なじみがあるものと思います。今から四十数年前には、一時的にブームになったこともあります。漫画、テレビドラマと大人達だけでなく、子供達にまで知られていました。ですが、今ではすっかり「三国志」に押され、わずかにゲームの中にその名が残っている程度です。
 若い方の中には、「水滸伝」の英雄豪傑が集う「梁山泊(りょうざんぱくん)」という場所の名を知っていても、そのもととなる「水滸伝」は知らない。そういう方がほとんどだと思います。「三国志」の孔明、劉備、関羽、張飛は知っていても「水滸伝」の黒旋風李逵(こくせんぷうりき)豹子頭林冲(ひょうしとうりんちゅう)花和尚魯(かおしょうろ)()(しん)は知らない。まことに残念なことです。
 「水滸伝」を復権させたい。その思いが日に日に募ってきました。そんな時、北方謙三先生の「水滸伝」が刊行されました。原典の「水滸伝」を大胆に再構築し、登場人物もようやく現代に通用するものに変革されていました。まさに目から鱗が落ちる、でした。これまで、古典というものは改変できないものだとあきらめていた私にとって、それはまさに青天の霹靂(へきれき)でした。いいんだ、変えても。やったね。そう舞い上がりました。同時に、これまで漠然といだいていた「水滸伝」という物語への不満。たとえば、義賊として梁山泊に集まったあと、招安(しょうあん)を受けて、これまで抵抗していた宋という国の使い走りになってしまう。主人公たるべき(そう)(こう)の変節、殺人狂としか思えない登場人物。あまりに出番の少ない女性キャラ。それら様々な不満が一気に押し寄せてきました。

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