侠の大立者として知られた宋家村の保正(村長)、宋江の娘宋雪華は、仲間の幼なじみ五人とともに北の大国遼、そして西の西夏との交易で、政和元年(西暦1110年)に遼兵崩れの賊に襲われた村の復興を図っていた。政和三年(西暦1113年)、そんな雪華のもとに女真族の完顔部の族長阿骨打と、その弟呉乞買が尋ねてきた。阿骨打は、契丹族の遼に虐げられている女真族を独立させる大望をいだいていた。そのために、雪華の力を貸してくれと頼みにきたのだ。どうして・・・。訝る雪華に、阿骨打は、遼で交易の情報収集をする聞起から聞いたと言った。聞起は雪華を支える五人の若者の一人で騎乗の天才だ。聞起を我が子のようにかわいがる阿骨打を、雪華は信用した。阿骨打が遼に対して叛旗を翻した際に、宋国境で騒ぎを起こして遼軍をそちらに引きつけてほしい。そういう依頼だった。悩んだ末、雪華はその依頼を引き受けた。阿骨打の想いに共感をおぼえたからだ。河北で叛乱を起こし、帝国を築いている田虎を動かす。雪華はそれを計画した。
だが、その会談を盗み見ていた者がいた。李吉というその男は、三年前に賊の襲撃を受け殺された保正の娘が、遼の軍装をした将校と密談していると考えた。その情報を、かねてから雪華の持つ交易網を狙っていた太原府の大商人、魯櫂に売り込んだ。魯櫂はその情報を歪曲し、宋雪華が遼と手を結んで太原府を襲おうとしていると、知府(府知事)の黄文炳をそそのかした。黄文炳は驚き、部下の袁偉を宋家村に向かわせた。雪華をおびき出して太原府で捕らえることが目的だ。雪華は騙され、太原府の牢営で拷問を受けた。全身を焼かれるという苦しみに耐え、雪華は最後まで膝を屈しなかった。